石州和紙とは?
石州和紙の歴史
手すき紙の歴史
手すき紙は、元興元年(105年)に中国の葵倫によって発明され、推古18年(610年)に曇徴により日本へ伝来されました。歴史上、文献に石州(石見)の名が登場してきますのが延喜式(905年)。その中で「中男作物(20才前後の男子が作って納める郷土の産物)に紙を40張(枚)」と義務づけられた42ヶ国の1つに石見が上げられています。
寛政10年(1798年)に発刊された国東治兵衛著の「紙漉重宝記」によると「慶雲・和銅(704年~715年)のころ柿本人麻呂が石見の国の守護で民に紙漉きを教えた」と記されており、約1300年もの間、石見(石州)地方では、古代からほぼ変わらぬ製法で手漉き紙が漉き続けられてきたのです。
「紙漉重宝記」についてもっと知る->
石州和紙の歴史
石州和紙は、江戸時代、大阪の商人が帳簿として使っていました。いざ、火事が起こった時は、商人にとってなにより大切な顧客台帳を井戸に投げ込んだといわれています。火事の後、井戸から帳簿を引き上げても、紙は溶ける事も破れる事もなく無事で、また商売を再開できると信頼が厚かったようです。
石州和紙では楮の皮を、あま皮の部分も残して削ぎ取り使います。そのため、繊維が強靭になります繊維を絡み合わせる流し漉きもあわさり、日本でも最高クラスの強靭さを誇っています。紙を折る耐折試験では
石州半紙の「稀」は縦方向で3405回、横方向で660回まで耐えたという記録があります。
普通に破ったり、折り曲げたりする程度では、ちぎれる事がないのが、石州和紙なのです。
三隅町の地名の由来は「水が澄む。みずすみ」からきているといわれ、水が豊富できれいな三隅町では、農閑期に紙を漉く家が多く、一時期は600軒近くの紙漉き職人がいたそうです。
しかし、後継者不足や、和紙を使う人が少なくなり、年々廃業が増え、現在は、当工房かわひらを含む4軒のみになってしまいました。
三隅町を中心に住む職人の手で紙を漉く技術・技法は、一貫してまもられてきており、石州和紙協同組合を設立し、平成元年(1989年)に経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」に「石州和紙」が指定を受けました。
今は、文化財の修復用の特殊な和紙を請け負ったり、新商品開発にも取り組み、1300年続いた歴史と文化を絶やさぬため、若手職人もがんばっています。
伝統的工芸品 石州和紙
石州和紙には、2つあり伝統的工芸品「石州和紙」と単なる「石州和紙」があります。
伝統的工芸品は、昭和49年5月25日に公布された伝統的工芸品産業の振興に関する法律により、通商産業大臣(現、経済産業大臣)が指定するものになります。
指定要件は、
「伝統的工芸品」は、「工芸品」(熟練した技を必要とする工作物であって、芸術的要素を備えたもの)でかつ次の5つの要件を備えている必要があります。
①主として日常生活の用に供されるもの
②製造過程の主要部分が手工業的
③伝統的技術または技法によって製造
④伝統的に使用されてきた原材料
⑤一定の地域で産地形成
と、なっています。
伝統的工芸品「石州和紙」の指定要件は、(平成元年4月11日 第24次指定)
●技術・技法
1 抄紙は、次の技術又は技法によること。
⑴「流し漉き」又は「溜め漉き」によること
⑵簀は、竹製またはかや製のものを用いること
⑶「ねり」は、トロロアオイを用いること
2乾燥は、「板干し」又は「鉄板乾燥」によること
●原材料
主原料は、コウゾ、ミツマタ又はガンピとすること
以上の指定要件を満たし、かつ製造産地の協同組合の検査に合格してはじめて
経済産業大臣指定伝統的工芸品「石州和紙」を表示することができます。
●製品
技術・技法と原料を用いた紙もしくは、紙製品が対象になります。
単なる石州和紙は、上記の技術・技法と原料にとらわれない石見地方(石州)で、製造された紙もしくは、紙製品のことです。