房州うちわ × 石州和紙
伝統的工芸品房州うちわ(千葉県)とのコラボレーション
房州うちわについて
日本3大うちわ(京うちわ・丸亀うちわ・房州うちわ)のひとつである千葉県の房州うちわ。
関東でのうちわづくりのはじまりは江戸時代。房総半島の南部。安房国(あわのくに)房州は、今もそうですが竹が多く採れ、江戸に向けて送り出す産地でした。明治10年頃、房州でもうちわが作られるようになりました。
大正12年の関東大震災の折り、日本橋堀江町河岸のうちわ問屋の大半が焼失したため、竹の産地でもあり、江戸までの船便がでていた那古港の近くの船形町に問屋が移住し、うちわの生産が拡大していきました。
この付近、那古、船形、富浦は漁師町。うちわの生産は留守をまもるおかみさんたちの手内職として大変喜ばれ、母から娘へとその技術は受け継がれて行きました。
大正末期から昭和にかけては、800万本近くの生産があったといわれています。内職として携わる人も1000人近くいました。
しかし、戦後の扇風機やエアコンの普及。かまどに変わるガスコンロの普及などの影響により、現在の生産本数は、2から30万本。
こんななか、平成15年。千葉県では唯一の経済産業省指定伝統工芸品に指定され、新たな価値を見いだそうとしています。現在は、5事業者が残るのみとなり、職人の高齢化、後継者不足などの悩みも抱えています。
コラボまでの道のり
ユネスコ無形文化遺産に登録されている石州半紙も、ライフタイルの変化した現在、新たな使い方を提案しなければいけないといつも思っていました。
2013年、古事記編纂1300年記念で島根県もその舞台となり、島根らしいお土産物を考えていた時に、「しまねっこのうちわがあったいいね」という意見があり、石州和紙楮紙を使ったうちわを試作しました。
が、家にあったプラスチックの骨に、自分で石州和紙をはったうちわをもって皆さんの意見を聞くと不評ばかり。紙の質感に対して、骨が釣り合わない。これじゃ欲しくない。売れないなど散々でした。
しかし、島根県には竹で団扇の骨をつくる技術も春技術もありません。
そこで、同じ伝統的工芸品の産地とのコラボレーションができないかの模索が始まりました。
伝統的工芸品のうちわの産地は3つ。日本三大うちわといわれえる京都の京うちわ。四国香川県の丸亀うちわ。そして、千葉県の房州うちわです。房州うちわのまわりには、手すき和紙の産地がなく、また、年に1、2回の伝統的工芸品の職人のあつまりで面識があった房州うちわの職人とコラボレーションすることにしたのです。
房州うちわの営業しているのは、現在5事業者。そのうちの4社にご協力いただくことができました。
運良く、地元の商工会の助成金援助もいただき、重要無形文化財、ユネスコ無形文化遺産の石州半紙。伝統的工芸品「石州和紙」の両方をつかった房州うちわを何度かの試作を繰り返して完成させることができました。
(写真は協力頂いた事業者のひとつ、「うちわの太田屋」の伝統工芸士太田美津江さんとの打ち合わせ風景です)
人気のしまねっこうちわ
こうして、石州和紙にふさわしい質感をもったうちわが完成しました。
そして、島根らしいお土産物ということでは、しまねっこの絵柄をプリントしたうちわを出雲大社や松江で販売することができました。
人気キャラクターのしまねっこも、応援してくれています。
原材料の入手や手間のかかる原料の加工、手すきの技術を高める事ももちろん重要ですが、後世にこの技術を残すためには、売れるものをつくる努力も大切と思い、未経験のことにも挑戦しています。
どうやったら、石州和紙をもっと多くのひとに使ってもらえるか。知ってもらえるか。日々模索しているところです。